りくりゅう結成のきっかけは、日本スケート連盟のペア教室での偶然の再会でした。
三浦璃来と木原龍一は、その場で互いに強い相性を感じたといいます。
初めて組んだ瞬間、「この人しかいない」と思えたことが、ペア結成へとつながりました。
偶然の出会いのように見えますが、その裏には2人の長い下積みと覚悟が積み重なっていました。
こうして、りくりゅうは誕生します。
この記事では、三浦璃来と木原龍一の出会いから、りくりゅう結成に至るまでの背景や秘話を紹介します。
りくりゅう結成のきっかけと三浦璃来・木原龍一の出会い
ペア教室での偶然の再会と運命の始まり
三浦璃来と木原龍一が初めて同じリンクに立ったのは、JSF(日本スケート連盟)が行っていたペア育成事業「ペア教室」でした。
三浦璃来は小学生の頃からトライアウトに参加し、毎年のようにペアの技術を学んでいました。
一方の木原龍一は、ペア転向後に複数のパートナーと活動していましたが、平昌五輪後は新たな相手が見つからず、キャリアの岐路に立っていました。
そんな中、ペア教室では男子選手が不足しており、経験者である木原がお手伝いとして呼ばれることになりました。 この偶然の再会こそが、後に世界を驚かせる「りくりゅう」誕生の第一歩になったのです。
「この人しかいない」と感じた瞬間
初めて組んだその瞬間、2人は驚くほど自然に動きが合ったそうです。
リフトの高さ、スピード、タイミングのどれを取っても初めてとは思えないほどの相性の良さを見せ、指導していたブルーノ・マルコットコーチも思わず驚いたといいます。
三浦璃来と木原龍一は、後に当時を振り返り「この人しかいない」と感じたと語っています。
それは単なる手応えではなく、ペアとしての未来を確信させる運命の瞬間でした。
三浦璃来と木原龍一がペアを組んだ理由
それぞれの下積みが導いたベストパートナー
木原龍一は20歳でペアに転向しましたが、すぐに結果が出たわけではありませんでした。
複数のパートナーと組み、五輪にも出場しましたが、思うように成績が伸びず、悩みながらも経験を積み重ねてきました。
一方の三浦璃来は、ジュニア時代からペア教室に通い続け、投げられたり回されたりする非日常の動きを楽しみながら、着実に技術を磨いてきました。
長い下積みを経てきた2人だからこそ、初めて組んだ瞬間に感じた相性の良さが、 「これまでの経験がすべてつながった」と思えるほど自然だったのです。
ペア結成を後押ししたコーチ陣の判断力
2人の相性を最初に見抜いたのは、後に指導者となるブルーノ・マルコットコーチでした。
トライアルの場で「組んでみて」と促したのがすべての始まりで、その瞬間に生まれた化学反応を見逃しませんでした。
さらに、愛知県スケート連盟の久野委員長も、2人の巡り合わせを「神様がご褒美をくれたよう」と語っています。
コーチ陣の判断力と後押しがなければ、りくりゅうの結成は実現しなかったかもしれません。
りくりゅう結成後の歩みと努力が花開くまで
結成直後からカナダへ渡った理由
2019年8月、りくりゅうのペア結成を正式発表した2人は、すぐにカナダへ渡りマルコットコーチのもとで本格的な練習を開始しました。
環境を大きく変えたのは、世界で戦うために必要な技術と経験を積むためです。
「チームりくりゅう」としての歩みはここから始まり、リンクの外でも内でも、2人は互いを理解しながら成長していきました。
試練と成長の積み重ねが金メダルへつながった
結成後の道のりは決して順調ではありませんでした。
北京五輪では団体戦で銀メダルに貢献し、個人でも日本初の7位入賞を果たしましたが、その裏には怪我や苦しい時期も多くありました。
2022–23シーズンには、グランプリファイナル、四大陸選手権、世界選手権を制し、年間グランドスラムという歴史的快挙を達成しました。
しかしその後も、木原の腰椎分離症、三浦の肩の脱臼など、試練は続きました。
それでも2人は諦めず、支え合いながら前へ進み続けました。
そしてミラノ・コルティナ五輪では、ショート5位からの逆転で金メダルを獲得しました。
涙を流す木原を三浦が包み込む姿は、2人の歩んできた道のすべてを象徴していたように感じられます。
まとめ
りくりゅう結成のきっかけは、日本スケート連盟のペア教室での偶然の出会いでした。
三浦璃来と木原龍一は、初めて同じリンクに立った瞬間、驚くほど自然に動きが合ったといいます。
その手応えが、2人に「この人しかいない」と思わせ、ペア結成へと背中を押しました。
偶然の再会のように見えますが、そこには長い下積みと覚悟が積み重なっていました。
こうして、りくりゅうは誕生したのです。
▼付き合っていると噂される「りくりゅう」の関係については、こちらの記事をご覧ください。


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